上ノ原製茶園が在ります場所は、長崎県北松浦郡佐々町の韮岳(358M)の山頂にあります。東京から西に1200K離れた地で西海の海を見下ろす小高い山に段々畑の茶畑を育てています。
茶の文化の始祖の一人、栄西禅師が茶の種を植えたといわれる平戸島や、見晴らしの良い日には五島列島を望みます。風当たりが強く寒暖の差が激しい山頂で育つ茶の樹は強い香りと、やさしい旨みを持った新芽を出します。その特徴を最大限に引き出すために、鉄釜で炒って茶に加工し直接お客様に販売を行っています。
日本の茶文化の始まりは1191年(鎌倉時代)に宋から帰国した栄西禅師が持ち帰った茶の種を平戸島の千光寺冨春庵に蒔いたのが始まりといわれています。しかし当時は上流階級の人達の嗜好品でした。江戸時代(1654年)に長崎の興福寺に招かれた隠元禅師が簡単に作れる釜炒り製法や急須を使う飲み方を伝えて、のち一般大衆に広がり始め、この製法が釜炒り茶として現代にも九州地方に残っています。蒸して乾燥させる茶は、てんちゃ(抹茶)として千利休に代表されるようなワビサビの作法に発展していきました。私達が住む西九州地方(長崎、佐賀)では昭和40年代~50年代まで釜炒り茶が主流として消費されておりましたし、幕末には釜炒り茶は主要な輸出品として海外に出荷されていた時代もありました。釜炒り茶の歴史は600年ともいわれています。
現在釜炒り茶の生産量は、国内の茶生産のわずか2%しか作られていません。
上ノ原製茶園の創始者上ノ原喜助は50年以上昔、昭和21年に国から払い下げられた韮岳に開拓団として入植しました。手作業で苦労しながら開墾していき、この地にうまい茶が育つことを知った喜助は昭和30年頃に本格的に茶の栽培を始め、釜炒り茶製法の技術習得に励みました。赤土で決して肥沃な大地とはいえない土地でしたが月日をかけて土をつくり、丈夫な茶を育て、香り高い茶を造ることを何よりも生きがいとしておりました。
【昭和42年頃のお茶畑の様子 戦後鹿児島から長崎に上ノ原喜助が開拓した当時の貴重な写真】
世代が変わっても私達はお客様に支持を受け、この山で採れる茶の香りに魅せられて茶を作り続けております。約800年前に栄西禅師が茶の種を蒔いたとされる平戸島が見える茶畑にて今も釜炒り茶を造り続け、私達は栄西禅師から始まる長い歴史の一端を担って今現在お客様にご提供できる事を誇りに思います